2014年3月1日土曜日

黄門様も真っ青のストックリフト券 - 苗場スキー場 (新潟県)

昭和61年1月25日滑走

この頃、ストックに旗印みたいに貼付けました。
これを、リフトに乗るとき監視員さんに見せ付けます。

ただ、使い終わった後がかなり問題です。
実に剥がれにくくて、ストックにシールが残ります。

上手にはがしても、糊が残っていてベタベタしました。
券の裏面全体が、粘着シールになっていて効き目が強い。

だから、最初から張らないスキーヤーもいたのです。
ホルダーに入れて腕に通して、提示していたのを覚えています。

自分の場合、部分的に保護紙を残して張り付けました。
宿に戻ってから、ゆっくり時間をかけて剥がしたのです。

こうして、記念に残せたのですが、券の説明に目が行きました。
ほかの系列スキー場へはしごができたみたいです。

三国、田代、みつまた高原、かぐら、中里、八海山と共通ですよ。
今になって気づいたのですが、ゲレンデは離れて独立しています。

唯一、田代とかぐら、みつまたが連絡しているぐらいです。
だから、その日のうちに渡り歩くなんて当時はできない。

混雑が当たり前で、リフト待ちが30~40分です。
駐車場から国道に出るのも週末なら1時間以上かかったでしょう。

当時は、スキーブームの真っ盛りでした。
特に、このスキー場は大人気で、そこにとどまるしかない。

しかも、ロープウェー・ゴンドラの共通券はあきらめました。
ゴンドラに乗るのにも、一時間は普通に並びました。

滑りに行ったのか、立ち並んで耐寒訓練をしていたのか。
それでも、若人が群がった理由はなんだったのだろうか。

ほかに何か遊びは無かったのだろうか。
今になって、自問自答するわけです。

そして、あの頃滑った人は、すでに子育ても終わっている。
時間に余裕もできたし、スキーも再開できるはずです。

でも、スキー場に戻ってきた人の数はかなり少ない。
結局、立ち疲れたりスキーレッスンに飽き飽きしたんじゃないのか。

そんなことを思ってみたりもするのでした。

おまけ:
上さんは南国育ちなので、スキーが不得手です。
アメリカで滑った写真を見せてもらいましたが格好だけでした。
でも、一人で勝手に出かけるわけにも行かない。
なので、ちょっと寂しいです。


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