2014年12月25日木曜日

長野電鉄創業者が、志賀高原と名づけたのだ​から、心して滑走せよ - 奥志賀高原スキー場 (その一)(長野県)

共通リフト券でハシゴしました

志賀高原は、長野電鉄の社長だった神津藤平が、昭和五年に命名しました。
名づけられてから、八十年ちょっとなので、歴史的にはまだまだ新しい方です。

しかも、自分の出身地だった志賀村、現在の佐久市志賀にちなんでいます。
何とも、安直な名前の付け方に違いなく、佐久なら菅平高原のほうが近い。

ただ、昭和二年に湯田中まで鉄道路線を延ばしたのが、きっかけになりました。
ここは、火山地帯ならではの豊富な湧出量を持つ多数の温泉が存在します。

開湯千三百年の歴史に加えて、江戸時代には文化人も数多く逗留しました。
ここに、山上の楽園、高原地帯が加われば観光地としては鬼に金棒でしょう。

つまり、後年の一大スキーリゾートに至る経緯が、電鉄事業を発端としました。
ですので、スキーヤー諸君は長野市の方角に足を向けて寝てはいけません。

なぜなら、ここには志賀高原スキー場の礎を築いた同本社が存在しております
賢くも恐れ多い、この両方の名前ですが、深く心にとどめて置くようにしましょう。

さて、この長野電鉄が最終的に開発したスキー場が、この奥志賀高原なのです。
オープンは、およそ半世紀前の昭和44年、滋賀では一番奥まったところでした。

往復料金、券を見せると帰りは無料

湯田中から国道を登ってくると、道路は蓮池のところで分岐点に出会います。
右手方向は横手山・渋峠へ抜けますが、この奥志賀は左手に流れて行きます。

奥志賀林道と言うのですが、滑った当時は有料道路で区間に分かれていました。
焼額まではA区間で360円を、奥志賀まではB区間570円を払ったのです。

それで、奥志賀を滑るために、A区間で降りて通行料金をせこく節約しました。
つまり、焼額山のゴンドラで頂上まで上り、次に隣の奥志賀まで移動するのです。

このため、平坦な山頂部のバーンを、ストックで突いて滑走しなければなりません。
たった210円のセーブなんですが、滑走前の準備運動ぐらいに思って滑りました。

現在、この林道はすでに無料化されていまして、ケチる必要もなくなりました。
それでも、もし焼額山と併せて楽しむのなら、手前で駐車した方がいいでしょう。

グーグルドライブはこちらから
さて、頂上の第4ゲレンデに到着したら、ゲレンデはYの字の二股に分かれます。
左手を滑ると、奥志賀高原ホテルまで降りますが、右手はゴンドラ駅に着きます。

このゴンドラ駅とホテルは離れていまして、戻るにはもう一度ゴンドラに搭乗します。
頂上駅まで上がり、左手を目指して滑りこみますが、目の前が上級コースです。

と言うわけで、初心者にはきついのですが、回避するコースも用意されていました。
宿泊先のホテルに戻る滑走パターンなのですが、自分としてはゴンドラ側のダウンヒルコースが好きで、ノンストップでガンガン滑りこんでいるのも楽しく、奥志賀のゲレンデは最高だと感じた記憶が鮮やかなのでした。


おまけ:
スキー場のパンフレットは、(その二)で取り揃えて紹介します。
ぜひ、ご訪問ください。
注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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