2014年2月4日火曜日

憲法裁判の佐藤さん - 小樽天狗山スキー場 (北海道・道央)

昭和59年12月29日滑走

実は、このスキー場の真下に下宿していました。
主は、佐藤冬児(亨如)さんといって、川柳作家です。

木造家屋でして、かなり老朽化していました。
冬は隙間風がふきすさびます。

トイレも汲み取りでして、冬場は汚物が便槽で凍りました。
用を足していくと、だんだん小山のように溜まっていくんです。

しかも、急傾斜の坂道に建っていて車がスリップします。
雪も深くなると、春まで汲み取り車は来られないのでした。

そんな下宿ですから、八畳一間で月一万円でした。
風呂も無く、流し・トイレが共同です。

ただ、スーパー・銭湯が近くでよく通いました。
急傾斜地の割りに、市営や道営のアパートも林立していたのです。

やっぱり、坂の町”小樽”だけのことはあります。
しかも、住まいがスキー場直結というのがすごい限りでした。

この主の佐藤さんですが、憲法訴訟でも有名な方です。
19歳の頃に痛めた脊髄が原因で、人生の大半が寝たきりでした。

だから、在宅投票制度の復活を求めて訴訟を起こしたのだと聞きました。
下宿の玄関を入って右手のガラス戸をあけると、佐藤さんがいます。

本人とは、ベッドで寝たきりのまま、よく挨拶しました。
狭いですが、訪問客を迎える居間になっています。

ただ、夏もストーブの置かれたままの土間でした。
そんな佐藤さんの下宿に一年間、厄介になりました。

雪かきもしてあげましたし、いろいろと思い出があります。
奥様とは仲むつまじく、つつつましくお暮らしでした。


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そんな下宿から、スキー場へ出かけるんですね。
しかも、スキーを担ぎ、スキー靴を履いたまま急坂を上ります。

これだけで、十分な準備運動になりました。
後は、リフト券を買ってすべるだけです。

貧乏学生でしたから、一回券を三四枚買うのです。
そして、リフトに乗っては大事に滑り降りるのでした。

そういえば、スキー場のヒュッテ(食堂)がユースホステルでした。
泊まったことは無かったけれど、賑わっていたのを思い出します。

そんな思い出のスキー場ですが、今ではリフトも変わっていました。
リフトも、あのA・B線リフトがなくなり頂上までペアに変わったのですね。

ところで、中央のバンビゲレンデって平均で斜度が20度近くもあるんです。
初心者にはかなり無理があって、名前につられて滑っちゃいけません。

昔は、このシングルB腺に乗るとバンビコースだけを滑られました。
今は、上部のテレンコ斜面まで一挙に上がってしまいます。

後は、麓まで初心者コースを降りてくるか、はたまた旧コースを下るのみです。
この旧コースが曲者で、FIS公認で最大38度もある壁になっています。

まあ、これが当たり前の天狗山スキー場です。
だから、ここでスキー検定一級とれたら、全国区なのですよ。

だって、こんなゲレンデレイアウトは、初心者をスパルタで鍛えるだけです。
というわけで、懐かしい下宿生活と一体だった、我が良きスキー場なのでした。


注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


おまけ:
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