2014年3月16日日曜日

伝説の阿屋須王国にゲ​レンデが - 雲谷スキー場 (モヤヒルズ) (青森県)

平成4年元旦滑走!

この日、余りに滑りすぎて記憶が飛んでいました。
まめに滑走記録を取っていたのが幸いです。

正確には、平成四年一月一日の元旦、お正月。
五ヶ所を滑り回った強行軍になりました。

まるで、八甲田山死の彷徨みたいなものです。
回った順番をおさらいしてみましょうか。

鯵ヶ沢スキー場
雲谷スキー場
③ 岩木山百沢スキー場
④ 東目屋スキー場
⑤ そうまロマントピアスキー場

さて、この二番目が全くすっぽり抜けていました。
日中のスキーは、この二ヶ所で終えています。

三番目からが、ナイター滑走になりました。
地図をご覧の通り、かなりの移動距離です。

クリックで拡大してね

まあ、走り滑って回り狂っていた感じです。
これ以上、短日で数をこなすのは無理でしょう。

このゲレンデは、青森市の郊外にありました。
まさに市民スキー場の性格を持ち合わせています。

でも、リフト券のキャラは何を意味しているのでしょうか。
この若者は、弥生時代の服装で髪型も特長的です。

みずら”なのですが、スキー場との関係は一体何なのか。
ミステリーといった気もして、まずググってはみました。
駐車券
多少、縄文時代の遺跡が近辺では発掘されたようです。
ですが、稲作の弥生時代とは合致していません。

何かしっくり来ませんが、とにかく古代にあやかったのでしょう。
髪型の知られている範囲で安易に設定したキャラだったのか。

一方、リフト券の右上端がちょっと気になり始めました。
”阿屋須王国”とっしっかり刷られているのです。

スキーとの関連性をあまり感じませんが、重要なヒントです。
もう一度、ネットでこの言葉をググってみて、驚きました。

ここ、雲谷峠には、古代に王国があったらしいのです。
アイヌの女酋長、阿屋須(オヤス)が館を構えていた言い伝えです。

昔、弟の頓慶(トンケイ)と共にこの地を支配していたとか。
ただ、征夷大将軍の坂上田村麻呂に滅ぼされたと言います。

こんな伝説が残されていたなんて、初めて知りました。
しかも、これにちなんだイベントも開かれていたようです。

だから、古代にあやかったキャラの設定なんですね。
滑った時分、おかしな印象だったのが、今ようやく氷解しました。

でも、残念ながらゲレンデの記憶が薄いままなのです。
そして、この若者(弟)だけが、想像の世界を一人歩きしているのでした。


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