2015年2月17日火曜日

入会地の利権やら環境保護は仁義なき戦いだったのかもしれない - ごりん高原スキー場(長野県)

平成4年3月22日滑走

とにかく、湯田中温泉街からロープウェーで、ゲレンデに直結しました。
便利さが温泉宿泊客には売りだったはずですが、志賀高原は目と鼻の先。
 
より取り見取りのゲレンデにバリエーションがあって、対抗するのは難しい。
スキーヤーが一度は行きたいゲレンデに流れる客足を、引き止められません。
 
しかも、駐車場が貧弱すぎて、三十台程度の規模だったのには驚きました。
確か、箱根の駒ケ岳ロープウェーも駐車場が小さかったように思います。
 
ですが、こちらはスキー客がゲレンデに滞留して、駐車時間は長いはずです。
こうして、運営上、何だかちぐはぐな印象は、ぬぐいさることができませんでした。
 
さて、ゲレンデの起点は、全長3キロ以上のロープウェイでいったん上ります。
標高はすでに千メーターを越えますが、ここから、ゴンドラに乗継ぐのです。

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ここも2.5キロの長さがありますが、終点は標高が千五百メーター近くです。
こうなると、志賀高原のゲレンデに引けを取らない雪質はお墨付きでした。
 
”ごりん高原”という名称ですが、長野冬季オリンピックが目標だったのでしょう。
当時、この開催地に長野が選ばれており、近隣の五輪山はピッタリ来ます。
 
そして、もう一本ロープウェーを掛けると、なんと志賀高原に直結するのでした。
つまり、ここから索道距離で四キロを延長すれば、北東の焼額山スキー場です。
 
運営者のコクドもつなげる構想だったようで、裏話がウイキに書かれていました。
しかも、志賀高原の入り口とする計画があり、支柱のみ設置していたとあります。

これはスゴイと思ったのですが、なぜそこまでしようとしたのかよく分かりません。
ただ、色々調べると、スキー場に関わる施設の利権争いがあった感じです。

この焼額山周辺は、湯田中渋温泉地区の住民が運営管理する入会地です。
入会地と言うのは、かつての村や部落など村落共同体が総有していました。
 
江戸時代、主な産業は農業で、田畑にならない山林はあまり用をなしません。
それでも、薪炭・用材・肥料用の落葉を採取するのに入会山は、貴重です。
 
このため、住民には、生活のために共同で利用できる権利が与えられました。
これが歴史を経て、財団法人共益会という組織に発展してきているのです。

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一方、志賀高原のメインゲレンデは、別の村落による入会地になっていました。
サンバレーから横手山までが含まれるのですが、現在、和合会が管理しています。
 
こうして、この二つの村落は、合併を繰り返して現在の山ノ内町になりました。
このため、町有地を管理する団体が分かれている歴史的背景があるのです。
 
和合会ですが、宿泊施設、スキー場とリフトの運営を会員だけに認めています。
どうも、観光資源で恵まれ過ぎた高原の自然に頼りきり、殿様経営は否めない。
 
しかも、入会資格は、沓野地区に住む一家の長男のみにしか与えられません。
女性会員などもってのほかで、男尊女卑なのか、ちょっと閉鎖的な雰囲気です。
 
これでは、コクドも投資したくても自由にできないし、排除されたのが本音かも。
そこで、指をくわえて見ていた別地区の共益会に声を掛けたのだと思います
 
その結果が焼額スキー場なのですが、瞬く間に人気を獲得してしまいました。
投資額の規模が桁違いですし、続けて隣の奥志賀高原ともつながりました。
 
まあ、これだけ因縁がつけられると、あの和合会を抜ける国道は使いたくない。
ならば、途中で混雑回避のようなゲレンデを経由して、焼額までつないでしまう。
 
では、どうしてコクドは、ロープェイを掛けるのをあきらめてしまったのでしょうか。
自分の想像ですが、コクドはもっと広大なゲレンデ開発を計画していたはずです。
 
長野オリンピックの招致活動が始まった当初、滑降の競技会場は志賀高原でした。
当時、谷を挟んで焼額山の向かい側にある岩菅山が予定されていたのです
 
周辺は、和合会と共益会が共有する入会地で、コクドの参入できる余地はあります。
オリンピックを口実に、共益会は支持でしょうから、残るは和合会の説得なのか。
 
ところが、長野県自然保護連盟などが自然保護を訴えて反対活動を始めました
岩菅山は、スキー場開発の進んだ志賀高原で、数少ない手つかずの山なのです。
 
この反対運動は、多くの県民から支持を得られたようで、開発は断念されました。
ただ、不可思議なのは日本オリンピック委員会の正式決定と発表がありません。
 
他方、コクドのオーナーである堤氏が記者会見しているのを、自分は覚えています。
結局、オリンピックもスキービジネスとつながっていたのは間違いないようです。
 
というわけで、コクドの大規模開発計画も頓挫して、残されたのがごりん高原です。
焼額山までロープウェイがつなげられなかったばかりに、このゲレンデを活用する目的と意図は失われ、駐車場までもがこじんまりとしたままで廃止となったのですが、未だに、グーグルマップ上ではロープウェイとゴンドラの路線が残されたままで、何ともそれが悔しさをにじませているようにも感じられるのでした


おまけ:(参考文献)
(結構、エグい記事)






五輪高原・湯田中駐車場領収書
   
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