2016年3月19日土曜日

村おこしで有名な、この観光リゾートの知名度だから、自治体新名称になったのだろう ― 国設胎内スキー場(新潟県・下越)

平成6年2月13日滑走

このゲレンデのある旧黒川村では、かつて大規模な「土石流」が発生しています。
集中豪雨の被害も想像を絶するものだったらしく、以降、この用語が一般化しました。

そして、この被災から立ち直るのに、巨額な公共投資が言うまでもなく必要でした。
道路の拡幅、橋梁の掛け替え、砂防ダムの建設など、数々の要求は100億円です。

この捻出ですが、村長さんが選挙区の国会議員へ日参し、永田町詣でをしました。
まあ、当時は、新潟が地盤の越山会の領袖、田中角栄が自民党では有力者でした。

権勢が日の出の勢いだったのも確かで、上越新幹線・関越自動車道もできています。
一方、国会議員も選挙支援のお礼で、暮らし向きが良くなる公共投資は欠かせない。

他方、村長さん自身の、政府予算から投資を引っ張り出した手腕はあったのでしょう。
村役場が一丸になり、財政支援制度や補助金活用制度も有効に活用して来ました。

農業が主体の寒村は、冬になれば豪雪で閉ざされ、仕事もなく出稼ぎするしかない。
村長さんも、通年を通して村の中で仕事をしてもらいたいのは、当たり前の話です。

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こうして、村営スキー場やホテル等、観光目的で様々な村営施設が建設されました。
つまり、スキー場は、昭和39年に胎内リゾートの観光事業第1号として始まります。

翌年には第一リフトの運転も開始され、続いて昭和41年はナイターも開かれました。
それ以来、ゲレンデは県内で有数の規模を持つ存在として、発展して来ております。

もちろん、基幹産業の農業も機械化を目指しながら、農産加工品も挑戦しています。
その事業内容を列挙してみますが、どれだけ国から支援をもらったのでしょうか。

 「スキー場」
 「ホテル」
 「そば屋」
 「フラワーパーク」
 「スポーツ施設」
 「クアハウス」
 「釣り堀」
 「キャンプ場」
 「畜産団地」
 「ハム工場」
 「ヨーグルト工場」
 「味噌工場」
 「肥料工場」
 「ミネラルウォーター工場」
 「地ビール工場」
 「レストラン」
 「天体観測施設」

まあ、スキー場の周辺は、胎内リゾート呼ばれていて、観光施設が集中しています。
通年型リゾートを目指して拡充されてきたのですが、繁盛するかどうかは景気次第。

右肩上がりの経済成長なのは、今や昔の話でして、デフレで国民は喘いでおります。
こうなると、庶民が観光レジャーで落とす金が先細ってくるのは、知れて来ますな。

政府の財政も悪化し、地方自体交付金も何時まで潤沢に供給できるか分からない。
こうなると、この黒川村が採用したビジネスモデルも、この先、保証はありません。

こうして、自治体を減らせば交付金も少なくなるみたいな、安直な政策が出されます。
これが、俗に言う平成の大合併だったのですが、役人は賢く、撒き餌をばら撒きます。

合併したら、十年間、合算した交付金を支給するわ、合併特例債の発行も認めます。
これがすごくて、その償還に際しては、国が七割も面倒を見るという提案なのでした。

でも、十年後に交付金が激減するのは事実で、行政サービスのエリアも拡大します。
合併した自治体だって、将来、きびしくなる緊縮財政のやりくりは分かってはいます。

だから、黒川村も隣の中条町と対等に合併をおこなうことになったんじゃないのか。
中条町も、村おこしビジネスで有名になった胎内リゾートは、魅力の観光資源です。

こうして、一町一村の極小な合併になりましたが、本当は不要だったのかもしれない。
というわけで、合併効果を狙って、新しい自治体は胎内市として生まれ変わりました。

面白いことに、市内には胎内川(たいないがわ)が流れているのですが、名前の由来が、アイヌ語の「テイ・ナイ」(清い川) 、「トイ・ナイ」(toy-nay 泥の川)を語源とする説もあるらしく、自分もこのアイヌ語に触れて投稿した記事のあったことを、改めて思い出したりしたのでした。


おまけ:
 アイヌ語絡みで投稿した記事は、、、



 平成の大合併で投稿した記事は、

閉鎖しかかると歯止めがかからないけど、みんなが支援で崖っぷちの大成功 - 関越国際大原スキー場(魚沼大原スキー場)(新潟県)


 ムラ社会にメスを入れた、お隣りの関川村のスキー場の投稿は、、、、



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