2016年9月14日水曜日

日本で最後の砂金堀の人が、北海道で仕事を辞めてから、もう半世紀近くも過ぎたんだな(砂金堀体験施設・北海道中頓別町/浜頓別町)

グーグルドライブはこちらから
中のページもご覧ください

館主のご本人を、テレビ東京の”開運 なんでも鑑定団”の番組で見て驚きました。
弥永芳子さんと言うのですが、かっては私設で個人博物館を運営されておられました。

その名も、弥永北海道歴史館といい、個人で集めた収蔵資料は十万点以上です。
鉱物、化石、金製品、北海道の先住民、アイヌ民族の資料など、展示物はさまざま。

北海道に関係するものばかりなのですが、その番組でも博物館が紹介されていました。
久しぶりだなー思いつつ、お宝は、鉱物資源だとか、てっきり展示物だと思うはずです。

ところが、鑑定の依頼は、あまり関係のないアンティークのブレスレットとロケットでした。
実に番組の趣旨を地で行くようなお宝で、ご本人の評価額は50万円と少し控え目。

それで、実際の鑑定額は350万円と七倍にも値上がりして、審美眼はさすがです。
そんなことを思って番組を視聴していましたが、最近、博物館のパンフを見つけました。

鑑定団ホームページより

訪ねたのは、開館した昭和60年から、さほど日も経っていない頃のことだと思います。
入館者は私一人だけで、館長の弥永さんが、自ら説明いただいたのを覚えています。

自宅に、私設博物館を開くのもすごいですが、ご近所には北海道大学もあります。
アカデミックな雰囲気を漂わせる印象でしたが、風の便りでは、最近、閉館されたとか。

ご存命であれば、97歳と百歳まであと少しのご長寿ゆえ、体力的にも厳しいでしょう。
なので、閉館は致し方ないと思いましたが、あのコレクションが見られないのは寂しい。

そんな思い出の博物館ですが、北海道で採掘された砂金のコレクションがまばゆい。
芥子粒のような砂金が赤い布地を下に引いて円筒形のケースに収納されております。

かつて、北海道はゴールドラッシュの景気に沸き、砂金堀が全国から馳せ参じました。
明治末期、あまり開拓の進んでいない道北まで、一攫千金を夢見た人が集まります。

一夜にして集落ができたほど賑わいを見せたというのも、あながち嘘でもないでしょう。
なので、砂金の取れる河川が流れていた中頓別町、浜頓別町に人々が集まりました。

カントリーサイン
浜頓別は、砂金より白鳥が有名

それで、川の名前が風変わりで、中頓別はペーチャン川と、アイヌ語の読み方のまま。
ペンケ・イチャン(上流にあるホリ場)があるので、なまって兵知安になったようです。

一方、浜頓別はウソタンナイ川ですが、これも同じくアイヌ語地名の完全な借用です。
お互いに滝が掘っている川という意味ですが、いみじくも砂金堀にとっては意味がある。

砂金は水に比べて比重が重いので、流されてきた砂金は川床のくぼみに溜まります。
つまり、ホリ場があると言うのは、大事なシグナルで、名前で判断したのかもしれない。

ただ、金の絶対量は少なかったのか、ペーチャン川は、わずか数年のブームでした。
金が取れなくなれば、一人去りまた一人去りと、やがてはゴーストタウンになってしまう。

こうして、今現在、砂金堀は、観光体験をしてもらうだけの施設になってしまいました。
どちらの川でも、貸し出される用具を使って、土砂の中から金を見つけてもらう段取り。

日本古来の伝統道具では、スコップのようなカッチャで川底から土砂をすくい上げます。
その後、小石や荒めの砂を取り除いたら、ゆり板で砂をやさしく洗い流していきます。
  



ここで、比重の重い金は板に張り付いて残りますが、乱暴な砂の洗い流しは禁物です。
一方、アメリカですと、ふるいで小石を取り除いたら、ゴールドパンで砂を流しだします。

食事に使う金属製のお皿を代用したと思われますが、日本では専用道具の板です。
形状に違いはありますが、砂を洗い流す目的は同じでして、お国柄の違いでしょうな。

というわけで、インストラクターもいて、胴付ゴム長まで貸し出すサービスがうれしい。
道北は冷涼ですから、夏場でも川の水は身を切るように冷たく、一番暑い盛りの期間でしか体験できなのですが、往時の砂金堀は、水が冷たかろうがお構い無しに、川にジャブジャブ入っていって浚っていたのを思うと、いかに一攫千金でも難儀なことだと思ったのでありました。


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




           

0 件のコメント:

コメントを投稿