2017年9月15日金曜日

奈良時代末期に遣唐使が種を持ち帰った朝顔にくらべると、こっちは意外に新参者なのかもね - 彼岸花(曼珠沙華)(北海道渡島以南の全国)

    
通勤途上の道すがら、人目に付かずにはいられない彼岸花に出会いました。
別名は曼珠沙華で、サンスクリット(梵語)の天上の赤い花を意味しています。

一目見れば、悪業を離れられる天の花とも言われ、慶事が起こる兆しらしい。
法華経の教えでは、この赤い花が天から降ってくるというほどの、瑞兆の花です。

歩道の脇には側溝が流れていますが、転落防止柵をかいくぐって咲いています。
しかし、あんな雑草が繁茂するような中で、茎からいきなり花が咲いていました。

本来、植物なら枝葉が伴うべきですが、それも無く、華麗なほどに真っ赤な花。
しかも、花びらが枯れ落ちるわけでもなく、突然、房ごとぽとりと落ちてしまいます。

実際、こういった花の特徴は、血や打ち首の印象につながり、武士は嫌いました。
江戸時代、武家の重罪といえば、切腹打ち首ですから、当然かもしれません。

確かに、あの赤い花はけばけばしさがあり、自然のやさしさとは少し食い違います。
しかも、死者を葬るのに土葬が普通だった昔は、墓場の傍らで咲いていました。

まあ、これには理由があって、有毒な球根だからこそ、わざと植えていたようです。
つまり、モグラなど動物は毒を嫌いますから、死者のむくろを掘り返されませんな。

だから、彼岸にすくっと現れて咲く、この花が幽霊に例えられるのもむべなるかな。
要するに忌み嫌われる要素の多い花なのですが、実のところ種子で増えません。

土の栄養分で球根を肥えらせて、球根を増やす分球の手段を使うといいます。
でも、球根に足が在るわけでもなく、どうして全国津々浦々に散らばったのかな。

朝顔もまだまだ咲いています
しかも、山野では咲かずに、人里で田んぼのあぜや川の土手に咲いております。
理由は、球根が地面に根を張って、あぜや土手を補強してくれる手軽さなんだ。

なるほど、職場へ通う道路わきの側溝も、昔は田畑を潤す小川だったのでしょう。
この流れの上手には飯島市民の森があって、そこを起点にせせらぎが出発します。

今は都市化の影響もあり、付近に往時の農村風景の面影は、全くありません。
でも、あの安全柵を気にせず、すくっと咲いた彼岸花は、川土手の名残のはず。

もし、そうならば、人手に植えられて、全国に広まっていったというのも分かります。
ただ、彼岸花の登場する文献は、室町時代以降というから、近世のお話です。

つまり、奈良時代や平安時代には、彼岸花は存在しなかったように思われます。
だって、気が付いていれば、花を愛でた上流階級は、何かに書き残したでしょう。

それが無いのですから、原産地の中国から渡来した時期は、そう古くはないのだ。
しかも、球根は水でよくさらせば、毒の成分が抜けて、食用にもなるといいます。

だから、飢饉に備えた植物として、農村地帯を中心に広がったんじゃないのかな。
増して曼珠沙華ですから、寺院における布教活動も役割を果たしたのでしょう。

ところで、飢饉に備えた救荒植物は、この花のように有毒な植物が多いのです。
オニドコロという、山芋に似た植物もありますが、食べるのに芋を水でさらしました。

これによって、有毒な成分が溶け出し、残ったでんぷんだけを食べていたようです。
彼岸花も同じく、球根を水でさらしてから食べたようですが、百合根みたいです。

というわけで、実用的な花だったからこそ、昔から大切に扱われたのだと思いました。
もう、今更、飢饉もなくなったことだし、川の土手はコンクリートの護岸に変貌してしまったし、お墓も火葬になって土饅頭は全く見られなくなってしまって、今はただ派手な赤い花の咲く姿だけを楽しむだけですが、そうだとしても、個人的には不吉さなど感じずに、この季節を彩ってほしいものだと思うのでありました。




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