2017年11月17日金曜日

ハトもピカソの絵が分かるし、バウリンガルで犬の気持ちが分かるようになったのも、あくなき探究心があったればこそのお話 - イグノーベル賞(そのほか)

     
11月といえば、日本人にとっても、ノーベル賞月間としてお馴染みになりました。
ここ三年、連続で受賞者が出てきましたので、四年連続の期待もあったのです。

ところが、蓋を開けてみますと、全く受賞者がでずに残念な結果となってしまった。
文学賞だって、今年こそ村上春樹だと、ハルキストが発表前夜に集まりました。

でも、カズオ・イシグロと発表されてしまい、うーん、英国籍の日本人だとはなあ。
ご両親も日本人だし、DNA的に人種的に見て誇らしいと思えなくもありません。

まあ、それで溜飲が下がる気もしますが、他方、十一年連続受賞がありました。
それって何なのよ、と思われるかも知れませんが、イグノーベル賞という際物なの。

英語なら、"Ig Noble Prize"なんだけど、"ignoble"の形容詞から来ております。
この単語、不名誉な、恥ずべき、と言う意味ですが、ノーベルのパロディーだな。

片や、人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究に対して、与えられるのだそう。
どちらかというと、こんな研究をまじめにやっているのかと思わせる受賞ばかりです。


それで、どうして11年間も続けて、日本人が受賞できたのか、考えて見ました。
まあ、自分達は好奇心の塊だし、功利的な発想で学問を見ようとしないからね。

憲法九条では、軍産複合体の研究もできなかったし、産学協同も平和的です。
しかも、江戸時代の二百数十年間は戦乱も無くて、庶民文化が花開きました。

一例を言いますと、朝顔栽培では、メンデルの法則を経験的に知っていたらしい。
つまり、花弁が変化した朝顔を、系統的な遺伝を察して作り出していたようです。

その他、趣味の算術計算も流行しており、幾何学の難題も編み出されました。
そして、これを解いた人がその内容を算額に自慢して、神社に奉納していました。


これって、幾何の計算を土木工事に活用する意図もなく、ただの趣味なのです。
世の中が平和すぎて、経済的にギスギス発展しなかったのが、良かったのかなあ。

まあ、そんな日本の風土だから、現在の研究にまで引き継がれたものがあります。
受賞一覧を見ていただいても、ただただ、興味の赴くままに極めようとしたみたい。

でも、誰かがやらないと、なぜなのと言う疑問が解決されなかったようにも思えます。
他にも、江戸時代の下肥(人糞)肥料の流通を学術研究したのも、ナイスですなあ。

下肥問屋という糞尿売買の商人が、船頭から下肥を買い付けていた経路です。
環境にやさしいとか、リサイクルの活用とか、経済的な効用を考えれば大切だよ。

というわけで、故郷の北海道大学では、ダブル受賞の名誉に輝いていたのでした。
ノーベル賞では、鈴木クロスカップリング反応により鈴木名誉教授が、そして、イグノーベル賞では、単細胞生物の粘菌が迷路を解いたり、その菌が作るネットワークに実際の鉄道網との共通点を見い出した中垣教授が、そして今年度は、「生殖器逆転」の昆虫を発見した吉沢准教授が、それぞれ受賞しているのですが、人間の英知を豊かにするのには、どんな研究にだって、それなりに十分な価値があるのだと思ったのでした。



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